2014年09月24日

犬猫の看取りは人間のエゴなのか?

 3日目の徹夜に突入した。 仮眠をとっているので、正確には寝不足3日目。

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 末期の腎不全で最期の時を迎えようとしているチワワとその家族に付き添っている。いつもこんな時に思うのは、人が犬につきそっているのではない。犬が人に付き添い、最期の心の準備をさせてくれているということ。心の準備をし家族で受け入れ体制をとるための時間を彼らが与えてくれている。小さなお子さんがいる家庭なら、子供達に弱っていく動物達の姿をきちんと見せてあげられる。生死の意味が分からない幼い子供も、自分の家族に通常ではない局面が訪れていることを感じて、その子なりに受け止めてくれる。交通事故や突発的な病気で急死してしまう動物達も多いが、彼らがいなくなることでポッカリ空いた穴を埋めるのに、この時間があるとないでは、全然違う。大切な時間だと思っている。それはきっと、人の最期も動物の最期も同じことだ。

 延命治療はしない約束で、私にできることは頻発する発作をその都度鎮めてあげることと、呼吸を楽にしてあげることしかない。できれば自宅待機しているご家族に、まだ鼓動のあるうちに来ていただき看取ってもらいたい。心音モニターの音を聞きながら、その時を待つ。

 多くの飼主さん達と看取りの時を迎えるたびに、どこまでが人間のエゴで、何が動物達にとっての幸せなのかと話し合ってきた。私に質問という形で問われるのだが、自分よりも人生経験豊富な飼い主さん方に解き語るほど、私自身が未だ生きることの意味・死ぬことの意味を理解できていない。まして物言わぬ動物達の代弁などできるはずもない。

 弱ってきた動物に点滴を入れることが、酸素を吸わせることが、痛み止めをうつことが人間のエゴなのか・・・。

 自分の飼っている老猫に対していうならば、私と一緒に住み、私の選んだフードを食べ、引っ越しの度につれまわし、私の選んだ家族と暮らし、毎日私の帰りを待っている生活が幸せといえるのか。それを強いたことが、すでに私のわがままではないのか。
 あなたの飼っている犬は、本当に心の底から今食べているフードを食べたいと思っているだろうか。 その服を着たいと思っているだろうか。もし、他の人に飼われていたらもっと幸せな暮らしがあったのではないか?

 そう考えると、動物を飼うという行為自体がすでに人間のエゴなのではないかというところに行きつく。 

 だとしたら、最期の時を迎え看取る瞬間に人間がその場所を決め、方法を決めることもエゴなのだろうが、そこは「最後まで私のわがままにつきあってください」と頭を下げて、あなたのエゴを動物達に受け入れてもらうのが筋なのではないだろうか。「この子を幸せにしたい」という勘違いから離れ「この子に幸せにしてもらっています」というところまで降りて初めて、人と動物が対等になれる気がする。


 寝不足の弱った頭で考えを巡らせるうちに、我が家の老猫のその時を想像し涙してしまった。相変わらず獣医師としても人としても、まだまだ。。。さて、働こう!   Dr.mana
posted by まなAH at 11:11| Comment(2) | 院長のひとりごと
この記事へのコメント
おっしゃることが、よく分かりました。
うちの犬も、獣医師に最後まで付き合いなさいと言われ、
家族が諦めるまで発作の処置をしてくれました。
その時間がなければ死を受け入れるのに、かなりの時間がかかったと思います。
獣医師の先生には感謝しかありません。
Posted by 小畑幸毅 at 2015年09月27日 00:58
小畑さん コメントありがとうございます。大切な時間を過ごされたのですね。突然亡くなってしまう子達もたくさんいる中、その時間を与えてくれる子は親孝行・家族孝行してくれているのだと思います。小畑さんのワンちゃんも、きっと優しい子だったのでしょうね。
Posted by 下田 at 2015年09月28日 17:05
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